2013年08月07日の日記 青木塾から その3 あんだんてテーマソングのできるまで に書いたように不思議な人のご縁で、あんだんてのような小さな会社でもテーマソング(CMソング)が完成しました。
創業以来の13年を振り返ってみても「人のご縁」に尽きると思います。シャンプーの設計・開発の部分については既に触れていますのでマーケッティング分野での出合いを「マーケッティングの軌跡」として週に2回程度書いて行こうと思います。
先ずは、シャンプーに関わるようになった経過です。
サラリーマン時代の前半は大手総合化学会社の中央研究所に約20年勤務しました。大学時代は応用化学科化学工学コース専攻だったので中央研究所でも主に化学工学研究室で過ごしました。
ですからいわゆる「化学者」ではなく「化学技術者」(専門分野ではケミカルエンジニアという。)でした。
ケミカルエンジニアは、小さな実験装置でできたものをどうやって工場生産できるかを考えるのが専門です。化学会社ですから化学製品の製造技術が主体ですが、環境技術(当時は公害対策といわれていた。)の開発にも関わっていました。
勤務先の主力工場は横浜でしたが、八戸、釧路にも工場がありました。この地は漁港もあり水産加工業が盛んでした。水産加工業では多くの廃水が出ますので処理技術の開発が待たれていました。そこで化学製品で養った環境技術を水産加工用にアレンジして地元のお役に立てるようにしました。その時の中央研究所の責任者が私でした。
技術は中央研究所で開発したのですが、水産加工業に廃水処理を納品するにはエンジニアリング会社が必要です。勤務する総合化学会社傘下のエンジニアリングが担当しました。
このエンジニアリング会社の事業所長は、後に大手トイレタリー会社に転職ましたし、私もこの後、精密化学品に転職し20年勤務して役員定年でリタイアしました。
八戸でご一緒してから20年以上のブランクがあったのですが、ある時(今から14年前)“今、ベンチャー企業を応援しているのだが、君も協力してくれないか?”とのお誘いを受けました。
大学の先輩ではありますが、サラリーマン時代は環境技術の開発・販売でしか接点がなかったのに思い出して声をかけていただいたのはうれしいことでした。
一方、環境技術の開発・販売をしていたときに必要に迫られて技術士の免許(コンサルティングの国家資格)を取得していました。これを活かそうとリタイアに技術士事務所を開設したところだったのですが、並行してベンチャー企業の話にも乗ることにしました。
このベンチャー企業は、アミノ酸系家庭洗剤(シャンプーも含む)の開発を行っていました。これが私がシャンプーの開発・販売に進むきっかけとなりました。